top of page

鎌倉八百ヶ谷戸

 

Hajime Zenzai

​善財 一

環境遺跡「鎌倉八百ヶ谷戸」

 鎌倉の街は山襞を侵食するように形成されている。古くから山の裾が開削されて平坦地が築かれ、宅地とされており、現在でも山裾を背後にしている宅地が頗る多い。これらの山は決して標高が高いわけではなく、武家はこの谷に屋敷を構え、空域を囲むような山の尾根筋を守りの要とした。谷戸(やと)である。

 そもそも八百年前に鎌倉に幕府が置かれた理由も、幾重にも山並が連続するこの地形が外敵の侵入を防ぐと考えられたからであろう。実際に山の尾根を歩いてみると、驚くほど緻密に山襞が利用されていることが判る。天然自然の地勢をそのまま利用しただけではなく、高い機能性を求めて山肌を切り削ぎ、いわば地形に手を加えて城壁に造り変えていたのである。

 土地の利用は、自然のままで行われることはない。山の裾野を削り道路にすることはもちろん、畑や宅地など生活の場、墓地なども、あるいは鎌倉の多くの寺社が開削された山裾や平地に築造されていると考えて良い。谷戸も奥に行くに従って次第に高くなる。谷戸の斜面をひな段状に切り拓いて平坦な場を設け、寺院を建てた。その際にヤグラを設けた。

 また、鎌倉防御のための施設として、急峻な山の頂近くを切り拓いて平坦な場を無数に造り出している。これを平場(ひらば)と呼んでいる。山際はまた、侵入を防ぐ目的から垂直に切り仕立てることが行われた。それが切岸(きりぎし)である。

 鎌倉の中心街では近代的な建築が進められた結果これらの石造遺跡は少なくなり、辛うじて山際に設けられている庭の一部に往時の様子を窺い知ることのできるヤグラが見られる程度である。それでも、鎌倉市街地の周囲には古い時代の地勢がそのままの状態で残されている場もある。

 谷戸は環境遺跡と呼ぶに相応しい空間である。

bottom of page